2025年の漢字は熊。

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「今年の漢字」が「熊」に決まった。迷い込んだというよりも、あまりに堂々と住宅地を歩く姿をニュースで見て、熊に街を占拠される日も来るのかな、と想像などしていた。年末になり、すっかり寒くなったが、まだ冬眠していないのだろうか。ニュースで報道しなくなると、そんなこともあったな、というように過去の話に感じられる。まるで問題は存在しないかのようである。

そんなタイミングでジョージ・オーウェルの『動物農場』を読んだ。

動物が人間を追い出して社会をつくる、冒頭の想像にピッタリな話だと思ったからである。そして読み終えた感想として、ある意味で “今にピッタリ” な話だったと感じている。

スターリンを暗喩した物語、そのように解説される。そんな難しいことを抜きにしても、想定外のエンディングへとつながる農場の話は小説として単純に面白い。特にこの絵本版(金原瑞人訳. 2023年. パイインターナショナル)はイラストも可愛さと不気味さを備えており、ファンタジーのリアルさを見事に伝えてくれる。

子供でも読むことができる簡単な内容だが、大人が何度でも読み返すことができる物語でもある。個人的には、支配する側と支配される側の構造、その形成過程、さらには、理想はどのように腐敗していくのか、など考えさせられた。

文字が読めず、記憶力も弱い動物たちは、権力者の誤った情報や故意の書き換えに「そうだったっけ」と疑問に思いながらも信じ続ける。彼らは過去の知識やデータを参照することができない。目の前の出来事だけを理解し、情報操作に都合よく説得させられる。恣意的に敵がつくられ、全体主義へと突き進む。“機運醸成”(今年よく聞いた言葉だ)のための掛け声や歌により高揚感につつまれ、一生懸命(文字どおり“命がけで”)働くけれど、仕事は減らず、食べ物は減っていく。最後まで救いがないのは民衆側なのであるが、何よりも陰鬱な印象を残すのは、“みんなのためにもっと働く” と自ら進んで労働し、コントロールされているにも関わらず、”自分たちは自由だ” と信じているところである。

2025年の僕らの世界はどうだろう。SNSや動画サイト、日々の暮らしや政治家の言葉を聞いていると、この物語と現実との差をあまり感じない。より物語に近づいた1年だったと言えるかもしれない。僕たちはより忘れやすく、流されやすくなった。周りの環境や声、誰かが決めたルールや規律に大きく左右され、熊のニュースのように、取り上げられたものを瞬時に話題にし、そして速やかに次に移っていく。熊の話だって誰かの都合の悪い話を隠すためのものだったのかもしれない。敵は熊ではなく人間だった。そんなことを考えることも可能なのである。

来年の干支は午(うま)だ。この物語でも馬は登場した。アルファベットを4つしか覚えることができないが、とても誠実で従順で、強い脚力を持った馬である。物語では困難に巻き込まれた彼。彼はどう生きるべきだったのだろう?SNSだと「もっと勉強しろ」や「物事を疑え」と自己責任論のリプライが大量に投稿される案件だと考えられる。しかしながら彼自身、どうすることもできなかったのだろう。

僕たちは、1人で解決できることと、できないことを混ぜるべきではない。「自己」も「責任」も曖昧なものである。誰かに言われて、責任を取ったり、取られたりすることは出来ないし、1人で解決できる範囲は実に限られている。街中にいる熊だって、1人(1頭)では解決できない状況にいるに違いない。

1人では解決できないことでも、絶望するのではなく、連帯を広げ、深めることが大切だ。馬も人間も群れで行動する動物なのである。想像力を使って、手を差し伸ばすことも、声をあげることもできる。

こんな感じで長い文章を書いているが、PROPOSIは情報メディアとしてバズることも、ウケることも全く考えていない。しかし連帯の輪を広げたいとは思っている。ジョージ・オーウェルが書いた世界が現実になり、アクセス数やアテンションを高めることが求められる現代にうんざりするが、この文章を最後まで読んでくれるあなたがいるということが、僕にとっての救いであり、この連帯への希望である。「未来の漢字」がもっと明るいものになるように進んでいきたい。